「くじ運」なんて絶対に許さないんだからね!
2020年01月03日に神社でおみくじを引いてきました。
が、他人のおみくじなんて、よっぽどのことがなければゲボつまんないの話なので、その辺は手短に。
Eテレの「たなくじ」が(最大限で)超大吉だったので、少し期待したのですが…
私はくじ運が悪い
私はくじ運が悪いです。
悪いのに宝くじを購入してしまいます。
そして、当選番号が発表されても見たくありません。
どうせはずれていますし、当選番号を確認するまでは夢を見ていられるので。
で、なぜ自分の「くじ運が悪い」と思うのか。
身近に「くじ運の良い」人間がいたからです。
「くじ運」は確実にあります
そのくじ運が良い人をAさんとすると、何十回もAさんと一緒にくじを引き、Aさんだけが当たる、Aさんの方がいいものが当たる、そんなことをたくさんたくさん経験しました。
毎回、
「またAさんだけ当たるんだろうな…」
そんなことを思いながら当たるAさんを横目で見てきました。
Aさんも世間一般にはそれほどくじ運が良いわけではないのかもしれませんが、私の100倍くらいは良さそうです。
冗談ではなく100倍とかそういうレベルの差です。
そして、前に勤めていた会社にもくじ運の良い人、Bさんがいました。
すぐに「くじ運が良い人」なのだと分かりました。
Bさんについては、波もあったのでしょうが、とにかく当たる当たる。
良いことも悪いことも。
もうスーパーマリオのスター無敵状態の音楽が後ろから聞こえて来てるような状態でした。
それから、他の人が書いたブログを読んでいたら「姉は昔からくじ運が良く、絶対に宝くじ当たると思っていたら、やっぱり当たっていた」という話を読んだこともあります。
というわけで
「くじ運は存在する」
と思っています。
くじ運には納得がいかない
世の中は平等であってほしいという気持ちも強くありますが、実際は徹底的に不平等です。
最近はよく人生が「ガチャ」に例えられるのを見ます。
親、生まれた地域、生まれ持った能力などなど、ありとあらゆるものが不平等です。
そんな中で確率の神が支配する「くじ運」くらいは平等であってほしかったのですが、そうでもないようです。
ただ、くじ運以外の不平等をくじ運でバランスとっているならそれは納得できるのですが、そうとも思えません。
そして、くじ運の悪い私は
「くじ運の良い人が、くじ運が良いことを自覚」すること
を最も恐れています。
くじ運が悪い人は、くじ運が良い人にはどうあがいても勝てないのですから
ただただ同じくじに参加しないでほしい、それを祈るしかできないのです。
「あなたはくじ運が良い人間で、それはとても恵まれたものなのです」
「だからあなたはそのことに一生気付かずに、人生を終えるその日まで有効活用しないでほしいのです」
「くじ運の悪い私が少しでも救われるために」
ということです。
性格悪くてすんません。
不幸を願っているわけじゃないし、いいじゃん別に。そもそも納得できないんだよ。
そんな私もきっとくじ運以外の何かでは恵まれているのでしょう。
この「くじ運」という確率の神を超えた理不尽な偏りこそが「神の存在の証明」になりそうですね。
余談
くじ運の悪い私ですが、昨年は年末ジャンボで10万円と1万円が当たりました。
もちろんこんなことは初めてですし、もちろん通算で回収はできていません。
ただ、直後にスタッドレスタイヤがパンクして修理不可能になり、2本で12万円の出費となりました…
タイヤ高いですね… 冬タイヤのインチアップなんてするんじゃなかった…
タイヤはどんどんどんどん値上がりしてます。
以上。
後記
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