ギャルと恐竜 再開+ナオタローの発言を考察
アニメ(一部実写) ギャルと恐竜が再開です。
Amazonプライムビデオでも(追加料金なしで)観れます。
(余談ですが、『レベルE』も追加料金なしで観れるようになりました。)
北海道は4日遅れで観れますが、プライムなら少し早く観れます。
経緯
- 2020年04月 TOKYO MXほかで放送開始
- 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い5月の第7話までで放送および配信延期が発表
- 10月より放送再開(ただし再度第1話から)
- 11月下旬、第8話以降が放送開始
要するに、4月の最初から見ていた人は11月下旬からやっと新しい話となる第8話が観れるようになったということです。
馴れ初め
夜中にやっているアニメの第1話については、気づいたら予約録画するようにしていて、ギャルと恐竜もそれに引っかかったのだと思います。
個人的には「ギャル」というものについて特に良い印象もなく、アニメも観始めてすぐに「おもしろくない」という判定をして、以降は観る気も起きませんでした。
しかし小学校低学年の娘が「恐竜好き」ということもあり、ハマったようで、何度も観ていたために私も観ることになり、「じわじわ」とハマってしまいした。
個人的ポイント
主人公?のギャルについて、ギャル(というイメージ)のいい面がピックアップされているので、悪い面は(言葉遣いを除けば)ほとんど感じられないのではないでしょうか。
その他としては、恐竜がしゃべれない上にシンプル極まりない目と口だけで感情を表現するのが面白いのです。
ほとんどのシーンで口が開けっ放しになっている恐竜に和んでしまいます。
名言みたいな迷言
第7話 ナオタロー
「僕は正直、音楽で世界を救うことはできないと思います。」
「でも、音楽で救えるような世界に音楽は必要ない。そう思います。」
・・・
オーディエンスも「なんかそれっぽいこと言ってんな」と言っていますが、私も意味がまったく分かりませんでした。
考察してみます。
ナオタロー理論では
- 音楽で世界は救えない
- 音楽で救えるような世界があったとしたら、その世界には音楽は必要ない
アーティストが1の発言をする価値観が分かりづらい上に、2の考え方も理解しがたいです。「音楽で救えるような世界に音楽は必要ない」? そうは思えません。
分かりづらいので置き換えて考えると、
「音楽で世界は救えない」→(A)
「音楽で救えるような世界があったとしたら」→(Aじゃないとしたら)
- (A)だと思う
- もし(A)じゃないとしたら、その世界には音楽は必要ない
- (でもAだと思っているので)、世界に音楽は必要
ということなのかもしれません。
つまりナオタローが言いたかったのは
「(音楽で世界は救えないけど、)世界に音楽は必要」
ということなのではないでしょうか。
嫌われそうですが、こんな回りくどい言い回しができる人間になりたいです。
考察してみるまでは納得できるとも思っていませんでしたが、意外にも納得できました。
ただし、最終的な結論としては理解できましたが、それに至るまでの価値観・考え方はまったく理解できません。
その他
実写部分の主人公を担当されている「8467(やしろなな)」さん。
由緒ある?ギャルのようです。延期は残念だったでしょうが、再開おめでとうございます。
以上。
後記
最後までお読みくださりありがとうございます。
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